ゴルギアス
『 ゴルギアス 』
プラトン
紀元前4世紀
古代ギリシア・ローマ哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "西洋哲学", "古代ギリシア・ローマ哲学" ]

テーマ

正しさとは何か 善とはなにか

概要

「正しさとは何か」「なぜ不正を行ってはいけないか」を中心に、弁論術の本質と是非、自然に則った正義の本質や節制と徳の重要性、現実政治のあるべき姿が述べられる。

目次

内容

ソクラテスが、ソフィストであるゴルギアス、弟子のポロス、政治家カリクレスと、弁論術を巡って問答を交わす。 ゴルギアスとの問答では、弁論術が「正・不正」とは関係の無い、ただの見せかけの術であることが露わにされ、ソクラテスによって「技術」ではなく「迎合」であると指摘される。 ポロスとの問答では、弁論術の有用性が考察され、「魂」の不正・不幸を取り除くという点では、役に立たないことが露わにされる。 カリクレスとの問答では、「法」や「政治」が考察され、国民の「魂」を善くするためには、「善」を目的とし、それを見極める「真の技術」「真の政治の術」こそが必要であり、弁論術のような「迎合」は必要無いことが指摘され、仮に弁論術のような「迎合」を持ち合わせず、自分の身を守れずに死刑になるようなことがあっても、不正を行わなかったのなら善く生きたことになるし、冥府でも裁きを受けることがない旨が、ソクラテスによって述べられる。 弁論術: 本篇においては、ソクラテスによって、弁論術が「技術」(テクネー)と呼べるようなものではなく、「政治術」の中の「司法・裁判」に寄生し、「快」を餌に人々を釣るだけの「迎合」(コラケイアー)であると指摘される。 それは、「魂」を善くしたり、その不正を取り除くことに貢献せず、むしろそれらを覆い隠してしまうものである旨が言及される。 【「技術」と「迎合」】 ●「身体」についての技術: 「体育術」 (←化粧法)、「医術」 (←料理法) ●「魂」についての技術 :政治術{「立法術」 (←ソフィストの術)、「司法・裁判」 (←弁論術)} 「自然」(ピュシス)と「社会法習」(ノモス) 本篇では、カリクレスによって、当時流行していた「自然」(ピュシス)と「社会法習」(ノモス)を対置させる考え方が、提示される。 カリクレスは、「社会法習」(ノモス)の虚構性・欺瞞性と、「強者・有能者による支配」の妥当性を指摘するために、「自然」(ピュシス)の論理を称揚するが、 思慮と勇気を併せ持った強者・有能者にとっての「有益な快楽」の目的である「善」こそが目指されるべきであり、それを見極める「技術」が必要だという点では、「自然」(ピュシス)も「社会法習」(ノモス)も一緒であることが、ソクラテスによって露わにされる。 「善」と「快」 本篇では、(「自然」(ピュシス)における)「善」と「快」の同一性を主張するカリクレスに対し、ソクラテスによって両者の区別が述べられる。 また、「善」に依拠する「技術」(テクネー)と、「快」に依拠する「迎合」(コラケイアー)という形でも、両者の区別は指摘される。 これは一見、『プロタゴラス』等に見られる、「善 = 快」の主張と矛盾するように見えるが、両篇の内容をよくよく読めば、 「技術」を備え、「善」を目指す「快」である限りにおいては、その「快」は「善」と同一視できるが、そうでない短絡的な「快」は「善」とは別もの という主張で、両者は共通しており、矛盾は無い。 この対話篇は身体と精神の対立や分離、霊魂の不死と死後の命運を語った点で、中期の『パイドン』の先駆的思想を含み、正義についての議論は後期の『国家』の先駆をなしている。さらに弱肉強食や強者の支配を語るカリクレスはニーチェとの類似が指摘され、平等が正義であることを自然に根拠付けたことは後の自然法論にも影響を与えた。
プラトン
プラトン
古代ギリシア

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "西洋哲学", "古代ギリシア・ローマ哲学", "政治学", "西洋政治学", "西洋古代政治学" ]

著者紹介

プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。