ヘッセン急使
『 ヘッセン急使 』
ゲオルク・ビューヒナー
1834
西洋近代政治学

名著の概要

ジャンル

[ "政治学", "西洋政治学", "西洋近代政治学" ]

テーマ

国家について 政治について

概要

8ページの政治的パンフレット。彼らはこの文書で、貧困にあえいでいた農民や手工業者に蜂起を促し、当時のヘッセン大公国の旧体制を覆そうとしたが、この試みは失敗に終わった。ヴィルヘルム・ヴァイトリングの『人類の現状と理想』と並び19世紀ドイツにおける革命思想の出発点に位置する著作であり、またマルクス=エンゲルスの『共産党宣言』に次いで翻訳されることの多い政治的パンフレットとも評されている。

目次

内容

本文ではまず旧約聖書の創世記を引きながら、農民の生活と王侯貴族の生活とを対比する。そして統計資料に基づいて、ヘッセン大公国の国民71万人が毎年収めている税金636万グルデンの内容(直接税、間接税、御料地収入、罰金など)を箇条書きにした後、その税の用途(各省の支出、軍事費、恩給費など)ごとに、それが無駄遣いであり役人の私腹を肥やすことにしかなっていないこと、そして税金を納めている当の人民には何の利益ももたらす結果になっていないことを説く。 それからフランス革命以降の歴史に触れ、7月革命によって王を追放したフランスがまたも世襲的な王制を敷いてしまったこと、その際にドイツの人民にも押し付けられた憲法がいかに不合理な内容のものであるかを訴える。最後に抑圧者に対する武装蜂起を説き、神にアーメンを唱えよという言葉で締めくくっている。 なお、この文の後半(ヴァイディヒの作とされる)では、領邦君主たちが理想的な皇帝を没落させ、ドイツを破滅の淵に追いやったと主張している。
ゲオルク・ビューヒナー
ゲオルク・ビューヒナー
ドイツ

著者の概要

ジャンル

[ "政治学", "西洋政治学", "西洋近代政治学" ]

著者紹介

ヘッセン大公国に生まれ、フランス領ストラスブール、次いで地元ギーセンで医学を学ぶ。ギーセン大学在学中に反体制運動に関わり、ルートヴィヒ・ヴァイディヒとともに扇動文書『ヘッセン急使』を執筆。しかし扇動は失敗に終わり、警察の手を逃れて亡命、ストラスブール、次いでチューリヒで自然科学の研究に携わったが、チフスに罹患し23歳で客死した。 その短い生涯の間に書かれた文学作品『ダントンの死』『レンツ』『レオンスとレーナ』『ヴォイツェック』は20世紀になってから再発見され、自然主義、表現主義をはじめ後世の文学に大きな影響を与えた。彼の名を冠したゲオルク・ビューヒナー賞は、現代ドイツにおいて最も権威のある文学賞である。