中朝事実
『 中朝事実 』
山鹿素行
1669
古学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学", "古学", "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書" ]

テーマ

国家について 天皇について 中華について 万世一系について

概要

尊王思想の歴史書。中国は中朝や中華を自称しているが、日本こそが中朝(中華)であるというのが、この書の主張である。

目次

内容

中国は中朝や中華を自称しているが、日本こそが中朝(中華)であるというのが、この書の主張である。 当時の日本では儒学が流行し、中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。 また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという中華思想が根本にあった。素行はこの書で、この中華思想に反論した。 当時中国は漢民族の明朝に代わって万里の長城の北の野蛮人の満州族による征服王朝の清朝となっていた。また歴史を見ると、中国では易姓革命で王朝が何度も替わって家臣が君主を弑することが何回も行われている。 中国では君臣の義が守られてもいないのに対して日本は、外国に支配されたことがなく、万世一系の天皇が支配して君臣の義が守られているとした。
山鹿素行
山鹿素行
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学", "古学", "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書", "兵法書" ]

著者紹介

江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。 9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で甲州流の軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。 35歳ごろには山鹿流兵学が完成し,《武教本論》《武教全書》を著した。山鹿流兵学は、従来の戦法によった兵学・軍学から、士道学としての広い構想の下に構築された兵法で、後の士道教育の牙となった。 また、40歳を過ぎるころから,当時の儒学の主流であった朱子学に疑問をもつようになり,65年(寛文5)には《聖教要録》を著して朱子学を批判し、独自の解釈により古学を創始した。 古学とは、朱子を通してでなく古代の聖賢の教えにかえることを主張した学問であり、古典的名著から直接学ぶことを重視した。