人生論ノート
『 人生論ノート 』
三木清
1947
日本現代哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他日本哲学", "日本現代哲学", "日本近代哲学" ]

テーマ

幸福とは何か

概要

「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれたエッセイ。

目次

内容

「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。 いわく「幸福の問題は主知主義にとって最大の支柱である」「幸福を武器として闘うもののみが斃れてもなお幸福である」
三木清
三木清
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他日本哲学", "日本現代哲学", "日本近代哲学" ]

著者紹介

京都学派の哲学者、法政大学文学部教授。戦時中に治安維持法違反で逮捕され獄死したが、死後刊行された『人生論ノート』は終戦直後のベストセラーになった。 第一高等学校の在学中、東京本郷で求道学舎を主宰していた真宗大谷派僧侶の近角常観に接近し歎異抄の講義を聴きに通う。また、二年生のとき、倉石武四郎らと塩谷温の資治通鑑の読書会に参加した。三年の時、西田幾多郎の『善の研究』を読んで感激し、哲学専攻の決意を固めた。 東京帝国大学進学後新カント派哲学の大御所リッケルトのいるハイデルベルクに留学を果たした。1923年には新進の学者で、リッケルトが「非常に天分の豊な人物」と評したハイデッガーのいるマールブルクへと研究の拠点を移した。その後パスカルに傾倒しパリにおいてパスカル研究を行う。 フランスより帰国後パスカル研究者として日本で評価されるものの、日本国内でのマルクス主義の台頭の中、三木もマルクス主義について研究を始める。 帰国後はマルクスに傾倒し、ドイツへ留学しマルクスを研究する。 しかし、1945年6月12日、治安維持法の容疑者をかくまったという嫌疑により検挙・拘留される。戦争終結後の1945年9月26日、豊多摩拘置所で疥癬(カイセン)の悪化により獄死。享年48歳。この三木の非業の死をきっかけとしてGHQは治安維持法を撤廃したとされている。