修行立志編
『 修行立志編 』
福沢諭吉
1898
日本近代哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他日本哲学", "日本近代哲学" ]

テーマ

世界について 人間について 人生について 学問について

概要

1898年(明治31年)5月から慶應義塾は慶應幼稚舎、普通部、大学部の一貫教育を始めた。その時に、在学生向けの教科書として編纂された本である。

目次

内容

冒頭にて、「今回学事の改良を計るに就き、日本近時の文体にて綴りたる読本の必要を感じたれども、世間在来の出版書中に適当なるもの少なし。依て老生が是まで右演説館に演説したる其筆記又は時事新報紙上に掲載したる論説等、凡そ少年子弟の為めにしたる文章を集めて一部の読本と為し、仮りに之を少年修業立志編と題して印刷に付したり」と説明。 1「独立の精神」 2「独立の大義を忘るゝ勿れ(演説)」 3「須く他人を助けて独立せしむべし(演説)」 4「一身独立して主義議論の独立を見る可し」 5「金銭は独立の基本なり(演説)」 6「慶應義塾の懐旧談(演説)」 7「銅像開被に就て(演説)」 8「人間万事児戯の如し(演説)」 9「小心翼々以て大功を期すべし(演説)」 10「恃むべきは唯自家の才力あるのみ(演説)」・・・42「英国の学風」
福沢諭吉
福沢諭吉
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他近世日本哲学", "政治学", "東洋政治学", "日本近代政治学", "社会学", "東洋社会学", "日本近代社会学", "日本近代哲学" ]

著者紹介

日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。 慶應義塾(旧:蘭学塾、現在の慶應義塾大学はじめ系列校)の創設者であり、商法講習所(のちの一橋大学)、神戸商業講習所(のちの神戸商業高校)、北里柴三郎の伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)、土筆ヶ岡養生園(現:東京大学医科学研究所附属病院)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。ほかに東京学士会院(現:日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を基に「明治六大教育家」として列される。 福澤の学問的・思想的源流に当たるのは亀井南冥や荻生徂徠であり、諭吉の師・白石照山は陽明学や朱子学も修めていたが亀井学の思想に重きを置いていた。したがって、諭吉の学問の基本には儒学が根ざしており、その学統は白石照山・野本百厳・帆足万里を経て、祖父・兵左衛門も門を叩いた三浦梅園にまでさかのぼることができる。のちに蘭学の道を経て思想家となる過程にも、この学統が原点にある。 『文明論之概略』は新井白石の『読史余論』から影響を受けており、維新の動乱の最中、程度の高い成人向けに「なかんずく儒教流の故老に訴えてその賛成をうる」ことを目的とし、西郷南州なども通読したることになった。 諭吉の代表的な言葉で戒名にも用いられた言葉が「独立自尊」である。その意味は「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」(『修身要領』第二条)。