兵法家伝書
『 兵法家伝書 』
柳生宗矩
1632
兵法書

名著の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "兵法書" ]

テーマ

兵法とは何か 武について 禅について 剣禅一如について 殺人刀 活人剣

概要

一剣士としてだけに留まらず、「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの概念を包括した新しい兵法思想を確立し、後世の武術・武道に大きな影響を与えた。この宗矩の思想をまとめた『兵法家伝書』である。三大兵法書のひとつで、『葉隠』や新渡戸稲造著『武士道』など武道以外の分野の書物にも影響を与えている。三大兵法書のひとつ。

目次

内容

「進履橋」「殺人刀」「活人剣」の三部構成になっている。 社会的な面での思想 兵法(剣術)の理想として「活人剣」を提唱した。 これは「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」というもので、戦乱の時代が終わりを迎えた際、「太平の世における剣術」の存在意義を新たに定義したものである。 また、沢庵の教示による「剣禅一致(剣禅一如)」等の概念を取り込み、「修身」の手段としての剣術も提唱したことで、それまで戦場での一技法に過ぎなかった武術としての剣術を、人間としての高みを目指す武道に昇華させる端緒となった。これらは大きく広まり、剣術のみならず、柔術や槍術など、江戸時代の武道各派に影響を与え、その理念は現代の剣道にも受け継がれた。 実戦的な面での思想 直接的な技法だけではなく、「心法」にも注目し、この重要性を説いた。 ここでいう心法は観念的なものではなく、現代で言うメンタルトレーニング的な面が強く、相手の動きや心理の洞察、それを踏まえた様々な駆け引き、またいかなる状況においても自身の実力を完全に発揮し得る心理状態への到達・維持など、実戦における心理的な要素を極めることで、より高みに達することを目指したものであった。(その心の鍛錬のための手段として、禅の修行が有効であるとしている)
柳生宗矩
柳生宗矩
日本

著者の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "兵法書" ]

著者紹介

江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。 後の3代将軍となる徳川家光の兵法指南役となり、新陰流を伝授する。その後、将軍に就任した家光からの信任を深めて加増を受け、寛永6年(1629年)3月に従五位下に叙位、但馬守に任官する。さらに寛永9年(1632年)10月3日には、3,000石を加増された後、同年12月27日、初代の幕府惣目付(大目付)となり、老中・諸大名の監察を任とした。 その後も功績をあげ、寛永13年(1636年)8月14日の4,000石加増で計1万石を受けて遂に大名に列し、大和国柳生藩を立藩。さらに晩年に至って寛永17年(1640年)9月13日、500石の加増。続いて前年に亡くなった次男・友矩の遺領分2,000石の加増もあり、所領は1万2,500石に達した。 一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では、日本の歴史上、彼ただ一人である。また、友人の沢庵宗彭を家光に推挙した。