吾輩は猫である
『 吾輩は猫である 』
夏目漱石
1905
近代日本文学

名著の概要

ジャンル

[ "文学", "東洋文学", "日本文学", "近代日本文学" ]

テーマ

人間風刺

概要

夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。内容全体はネコの可笑しな人間観察日記。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』に発表され、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。

目次

内容

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まり、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様が風刺的・戯作的に描かれている。 江戸落語の笑いの文体、英国の男性社交界の皮肉な雰囲気、漱石の英文学の教養、この3つが一体となり、作者の饒舌の才能が遺憾なく発揮された。漱石の痛烈・愉快な文明批評は今なお色あせぬ。
夏目漱石
夏目漱石
日本

著者の概要

ジャンル

[ "文学", "東洋文学", "日本文学", "近代日本文学" ]

著者紹介

代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。 江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めたあと、イギリスへ留学。帰国後は東京帝国大学講師として英文学を講じ、講義録には『文学論』がある。 講師の傍ら『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』などを書く。その後朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となった。