呻吟語
『 呻吟語 』
呂坤
1593
中国哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "中国哲学", "政治学", "東洋政治学", "中国政治学" ]

テーマ

世界について 人間について 人生について 政治について

概要

中国の古典籍の一つ。著者は明代の哲学者・呂坤。呂坤が30年に及ぶ長年に亘って良心の呻きから得た所の修己知人の箴言を書き記し、収録した自己啓発の書。六巻本で、内篇・外篇に分かれ、全17章より成る。

目次

性命 存心 倫理 談道 修身 問学 応務 養生 天地 世運 聖賢 品藻 治道 人情 物理 広喩 詞章

内容

人間練磨の書として知られ、最古にして最上の自己啓発書。政治がうまくゆくか否かは、上に立つ者の姿勢にある。中国は明代の学者呂坤(りょこん)の人間の生き方、在り方に対する鋭い省察から生まれた自省録。人間の生き方を考えるうえで、現在なお新鮮な処世指南の書となっている。 自序(訳) 「呻吟とは病気の際のうめきである。病中の苦痛はただ病者にのみ分かるもので、他人には通じがたい。しかもその病人ももう慎んでまたと再び病気はすまいと思いつつも、癒えてしまえば、やはりまた忘れてしまう。自分は小さい時からありとあらゆる病気を経験して来たが、その呻吟の語三十年来記す所若干巻、携えて以て自らの薬とする。友人の劉景沢は心・性を修めて、平生から呻吟する所の無い人物で、自分は非常にこれを愛している。ある時この『呻吟語』を出して彼に見せたところが、彼は自分もやはり呻吟する所があるのだが、まだこれを記してはおかなかった。我々の病は大抵同じものだ。君がそれを書きつけておいた上はどうしてそれを公にしないか。さすれば三つの益があろう。病を医する者は君の呻吟を見て、そんなに病まぬよう慎むであろう。これ君が一身を以て天下に病に懲りることを示してやるもので、命を延ばす者が沢山出る訳である。もし君は癒えぬでも、それで人を癒すことができれば結構では無いかと言ってくれた。自分は恐縮して、病人の苦し紛れの言葉で人を迷惑させるのもどんなものかと思うが、まあ余り酷く無い語を存しておくことにした。まあまあ生きている限りはまさに三年の艾(もぐさ)を求めてこの余生を健やかにせねばならぬ。慢性の病だからとて自棄になるものでは無い。景沢のお陰で猶自分を医することができると言うものだ」----万暦癸巳三月(万暦21年3月) 深沈(しんちん)厚重(こうじゅう)なるは、これ第一等の資質。磊落(らいらく)豪雄(ごうゆう)なるは、これ第二等の資質。聡明(そうめい)才弁(さいべん)なるは、これ第三等の資質 (どっしりと落ち着いて深みのある人物、これが第一等の資質である。積極的で細事にこだわらない人物、これは第二等の資質である。頭が切れて弁の立つ人物、これは第三等の資質に過ぎない) 忍激(にんげき)の二字は、これ禍福の関(かん)なり (じっとこらえて辛抱するか、一時の感情にかられて激発するか、どちらをとるかが幸と不幸の分かれ目となる) 身を修むるには、短を護らざるを以って第一の長進(ちょうしん)となす。人能(よ)く短を護らざれば、則(すなわ)ち長進すること日に至る (自分を磨くためには、短所を隠さないこと、これが第一の近道である。短所を隠さなければ、目に見えて効果があがってくる) 君子の人を用うる、その効(こう)の同じきを必せず、各(おのおの)長ずる所を尽くさしむるのみ (君子が人を使う場合、必ずしも同じような実績を期待しない。相手がそれぞれの長所を発揮できるようにしむけるのである)
呂坤
呂坤
中国

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "中国哲学", "政治学", "東洋政治学", "中国政治学" ]

著者紹介

中国・明代の大儒・哲学者。 幼少期は頭が悪く、文章を素読することさえままならなかったが、無暗に読むことよりも心を澄ませて身に付けることを心掛けてからは(澄心体認)、15歳で五経の書を通読することが出来た。殊に哲学書(性理学の書)を好んだ。 1571年(隆慶5年)、36歳の時に会試に及第したが、たまたま母を亡くして郷里に帰り、喪に服した。神宗の1574年(万暦2年)、39歳で殿試に応じ三甲第50名で進士に及第。襄垣(じょうえん)の令に任ぜられた。治め難い土地であったが成績を挙げ、明年に大同の令に転任した。ここで彼は横暴な土豪を抑えて厳明な政治を敷いた。 万暦6年に吏部主事に抜擢される。それから山東参政、山西按察使、陝西右布政使、巡撫山西右僉都御史を経て、万暦22年、刑部左侍郎にまで昇った。 しかし、その頃満州では愛新覚羅が勃興し、辺境の情勢は動揺して内政が乱れていた。深憂に堪えなかった呂坤は忌憚無く意見を上奏したところ、役人の讒誣中傷を受けるだけで聞き入れられなかったため、結局病気を理由に自ら官職を退いて、田野に儒学を講じた。 呂坤は宇宙の本源を気とみなし、天地万物は気の集散であると説き、朱熹の理気二元論を二物説として批判した。 呂坤の代表作である『呻吟語』は、その講学生活の中で30年かけて万暦21年(1593年)に書き上げた処世哲学書である。