和俗童子訓
『 和俗童子訓 』
貝原益軒
1710
日本社会学

名著の概要

ジャンル

[ "社会学", "東洋社会学", "日本社会学" ]

テーマ

教育について 道徳について

概要

日本で最初の体系的な教育書といわれている。儒学者である彼は儒教の子育て観の影響を強く受けており、たとえば三字経からの影響が指摘されている。 江戸時代の教育機関である寺子屋での教育に強い影響を与えたとされている。

目次

内容

全五巻。一巻:総論上、二巻:総論下、三巻:随年教法、読書法、四巻:手習法、五巻:教女子法 「和俗童子訓」は、益軒が晩年になってから著した書物とはいっても、決して昔からあるものをただまとめただけの内容ではなく、当時としては先鋭的な内容も含んでいた。 「学を本にして芸を末にする」と説いた。社会の風潮に流されるもことなく、芸術よりもまず学問に専念することがすべての人にとって大切だという原則を明確に主張した。 大家(たいか・豊かな家、尊い家柄)の子であっても、算数を学ぶ必要があるということも述べた。 なぜ算数を学ぶ必要があるかというと、社会の運営には、金銭や数量など数字をコントロールする能力が必要だからだという。当時、武士が金銭に関心を持つのは卑しいことだという考えがあったが、益軒は、単に道徳論を述べるだけではなく、実際の社会生活を行うために必要な学力は何かということを考えていた。
貝原益軒
貝原益軒
日本

著者の概要

ジャンル

[ "科学", "東洋科学", "生物学", "社会学", "東洋社会学", "日本社会学", "医学", "東洋医学", "医学書" ]

著者紹介

江戸時代の本草学者、儒学者。 1699年、70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。 退役後も藩内をくまなくフィールドワークし『筑前国続風土記』の編纂を継続、1703年(元禄16年)に藩主に献上している。 1709年に『大和本草』を出版した。 益軒は自ら観察・検証することを基本とした。この後日本の本草学は文献学から脱皮し、自らの足で歩き植物を発見・採取する本草学者が現れるようになった。