国意考
『 国意考 』
賀茂真淵
1769
神道

名著の概要

ジャンル

[ "宗教学", "東洋宗教学", "神道", "宗教論", "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学" ]

テーマ

日本について 国学について 神道について

概要

「国意」とは日本の精神を指す。儒教・仏教などの外来思想を批判し、古代の風俗や歌道の価値を認め、日本固有の精神への復帰を説いたもの。

目次

内容

「神道つまり惟神道こそ、日本古代から伝わる純粋な天地自然の大道であったが、その精神は、後から伝わった仏教と儒教によって混濁させられた。国学者の責務は、古典研究によって神道の純粋さを取り戻すことである」という前提に基づき、朱子学などを排し日本人本来の生活と精神に戻るべきである、という主張に終始する。また、「国意」とはこの日本人本来の精神を指し、朱子学のように多角的な方形ではなく滑らかな弧線からなる円である、つまり窮屈よりも緩和、厳しさよりも優しさが勝るのが日本人本来の心なのである、とした。 さらに文の終わりころにある「凡て天が下は小さきことはとてもかくても世々すべらぎの伝わり給ふこそよけれ」とか「すべらきのもとの如くつたわり給ふ国」などの言葉で知られるように、天皇の存在が日本にとって自然なこと、よいことであると主張した。そして、「万葉集」には、和らぎの心があり、古代の素直な心情に帰ることが国家を治める上で肝要であるとの自説を強調して終わっている。 主な内容 又人を鳥獣とことなりといふは、人の方にて、我ぼめにいひて、外をあなどるものもにて、また唐人のくせなり、(中略)凡天地の際に生とし生るものは、みな虫ならずや、それが中に、人のみいかで貴く、人のみいかむことあるにや、(中略)おのれがおもふに、人は万物のあしきものとかいふべき、いかにとなれば、天地日月のかはらぬままに、鳥も獣も魚も草木も古のごとくならざるはなし、是なまじひにしるてふことのありて、おのが用い侍るより、たがひの間に、さまざまのあしき心の出来て、終に世をもみだしぬ 理に即して理に囚われず、天地が万物自からの綾を為す 事の少ければ、ふみ少し、ふみ少ければ、心易し、心易ければ、平かなり 直きてふ意をしらぬ故なり、凡心の直ければ、万に物少し、もの少なければ、心にふかくかまふることなし
賀茂真淵
賀茂真淵
日本

著者の概要

ジャンル

[ "宗教学", "東洋宗教学", "神道", "宗教論", "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学" ]

著者紹介

江戸時代中期の国学者、歌人。 賀茂真淵は荷田春満を師とし、『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重、万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。 また、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿であるとして、古道説を確立した。 主な著書に『歌意考』、『万葉考』、『国意考』、『祝詞考』、『にひまなび』、『文意考』、『五意考』、『冠辞考』、『神楽考』、『源氏物語新釈』、『ことばもゝくさ』などがある。