地獄変
『 地獄変 』
芥川龍之介
1918
近代日本文学

名著の概要

ジャンル

[ "文学", "東洋文学", "日本文学", "近代日本文学" ]

テーマ

執念 芸術至上主義 道徳 葛藤

概要

説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に、芥川が独自にアレンジしたものである。主人公である良秀の「芸術の完成のためにはいかなる犠牲も厭わない」姿勢が、芥川自身の芸術至上主義と絡めて論じられることが多く、発表当時から高い評価を得た。

目次

内容

時は平安時代。絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。この良秀には娘がいた。親に似もつかないかわいらしい容貌とやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。娘を溺愛していた良秀はこれに不満で、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していたため、彼の才能を買っていた大殿の心象を悪くしていく。一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。 そんなある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くため、ある時は弟子を鎖で縛り上げ、またある時はミミズクに襲わせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を描き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。 当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身悶えしつつ、まとった豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日頃彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。屏風を献上した翌日、良秀は部屋で縊死する。
芥川龍之介
芥川龍之介
日本

著者の概要

ジャンル

[ "文学", "東洋文学", "日本文学", "近代日本文学" ]

著者紹介

明治・大正期を代表する作家の一人であり、35年の生涯の中で多くの優れた作品を生み出した。作品の多くは短編小説であり、中でも『芋粥』『藪の中』『地獄変』など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものから、『蜘蛛の糸』『杜子春』などの児童向け文学まで幅広く知られている。 菊池寛や久米正雄ら高校の同級生たちと 文芸雑誌である『(第3次)新思潮』を創刊。その後23歳の若さで発表した『羅生門』で一躍脚光を浴びる。その後も『鼻』『蜘蛛の糸』などの作品で注目され続け、27歳では結婚し順風満帆に見えたが、妻とのすれ違いからの離婚や、自身の恋多き性格が招いた災難、実家のトラブルなど多くの問題に見舞われ、徐々に精神をすり減らし、ついに35歳のとき服毒自殺を図り、その短い生涯を終えた。没後、菊池寛により芥川賞が設けられ、今日まで続く純文学の最も権威ある賞の一つとなっている。