子どもの発見
『 子どもの発見 』
マリア・モンテッソーリ
1909
教育学

名著の概要

ジャンル

[ "社会学", "西洋社会学", "西洋現代社会学", "教育学", "幼児教育" ]

テーマ

子どもについて 子どもの教育について 親について

概要

「モンテッソーリ教育」の基本は、「子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」という考え方にあります。 この基本の考え方、実践法などが生まれる過程を自ら書き下ろしたマリア・モンテッソーリの主著ともいうべき著書が『子どもの発見』です。

目次

内容

子どもを管理・支配し、一方的に教える既存の教育を否定し、大人は子どものための環境整備とを行い、その範囲内で自由に行動する子どもを”見守る”存在だと説き、既存の教育概念を一変させた名著。 「自分で!自分で!」「僕がやる!」「「私がする!」という子どもの声は誰もが聞いている言葉。うるさいな、と自分でやろうとする子どもの手を振り払って「あっち行ってなさい」「危ないから触っちゃダメ」「あなたには無理!」などと言って子どもを諦めさせるのが”邪魔者”を振り払う大人の常套手段。大きな声や手早い仕草で子どもの心を行動を一蹴してしまいます。子どもは大人に対して常に弱い立場にいます。特に幼児期はその弱い立場に甘んじて大人に頼らなければ生きていけないから、大人のどんな勝手な言葉にも屈せざるをえません。大人はそこにいるだけで子どもにとって脅威だとします。大人には我が子が幼児の時期ほど勝手に権威を振るい、弱くて素直な子供の前でいつの間にか自分の思い通りに支配するようになりがちです。子供のためにこれだけしてやっている・・という傲慢が言い訳となっています。それがかえって子どもの意欲を削いでしまっていることに気づかなくてはなりません。 子どもは大人の支配よりはるかに強い自然の力に支配されている、とモンテッソーリは言います。大人は子どもが自分で成し遂げねばならない宿題を自然からもらっていることを見極め、それに立ち向かっていくのを助けなければならないと。 モンテッソーリは、さらにこう言っています。 「服を着せたり顔を洗ってやったりすることは奴隷のすることです。子どもが自分の心と体を自分で使って、その時期に成し遂げなくてはならない課題に取り組めるよう、大人は励まし続けることです。大人がしてやるのではなくて、子どもに自分でさせるのです」 ではそのために大人は子どものためにどうすればいいのでしょうか。それは一人でできるような環境を整えてやるということです。世の中はすべて大人サイズにできていて大人の都合に合わせた環境です。だからトラブルが起こります。子どもの興味のもつような身の回りのものを子どものために適切は形や大きさに整えてやること。子供を援助する心構えを持つことが前提にあれば工夫がかえって楽しくなるかもしれません。子どもをよく観察し何を感じているのか、何をしたいのか教えてもらうことです。 「私がやる!」という言葉には子どもの人格の尊厳があり自立への強い憧れがあります。モンテッソーリが着目したのは、普遍的な子どもの生命力です。時代が変わっても文化が発達しても変わらない子どもの生命力に畏敬の念を抱き、自らよく生きようとする命を助けるのが大人の仕事。なんという深い愛に満ちているのでしょう。
マリア・モンテッソーリ
マリア・モンテッソーリ
イタリア

著者の概要

ジャンル

[ "社会学", "西洋社会学", "西洋現代社会学", "教育学", "幼児教育" ]

著者紹介

医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニスト。モンテッソーリ教育法の開発者として知られる。 19世紀、ローマ大学医学部に女性として初めて入学。当時は女性差別の残る時代だったため、入学後、男子学生と同室での系統解剖が許されず、別室で一人死体に向かいメスを取らざるを得ないなどの差別的処遇を受けたが、それらの逆境を乗り越え、1896年、イタリア初の女性の医学博士号を取得する。 卒業後も女性が医師になることに否定的な医学界で、なかなか職が見つからず、医学とかけ離れた状況にあったローマ大学付属の精神病院にようやく職を得た。当時の精神病院の患者たちは鉄格子に囲まれた暗い部屋に監禁され、治療らしい治療が行われない劣悪な環境下にあった。医師として絶望的と言えるこの職場で、マリアは知的障害があるとされる幼児が床に落ちたパン屑でしきりに遊ぶ姿に目を留めた。それ以降、幼児の様子を注意深く観察するうちに、何ら知的な進歩はないと見放されていた彼らが感覚的な刺激を求めることを認め、指先を動かすような玩具を次々と与え、彼らの治療を試みた。その中で彼女は、感覚を刺激することによって、知的障害児であっても知能の向上が見られるという確信を得て、他の障害児たちにも同様の教育を施した。マリアが彼らに知能テストを受けさせると、彼らの知能が当時の健常児たちの知能を上回るという結果が得られ、イタリア教育界、医学界に衝撃を与えることとなった。 1907年、障害児の治療教育で一通りの成果を挙げた感覚教育法を、マリアはローマの貧困家庭の子供たちに応用する機会を得る。ここにおいても知能向上で著しい結果を得、この方法をさらに追究するため、医師を辞め、ローマ大学に再入学した。 再入学したローマ大学では主に哲学を学び、その後、南フランス・アヴェロンで発見された野生児の教育に着手し、彼の観察と教育を行った感覚教育の先駆者であったジャン・イタールの著書の研究を進め、知的・発達障害者教育の先駆者エドワード・セガン(en:Édouard Séguin)医師に学んだ。さらに、生理学、精神医学の研究にも没頭。のちにモンテッソーリ教育と呼ばれる独自の幼児教育法を確立する。 モンテッソーリ教育が確立されると、その方法は世界各国で支持されるようになり、世界各地に次々とモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」 (Casa dei bambini) が設立された。モンテッソーリ教育が急速に普及していく中、マリアは教師の質の重要性を認識、教員養成コースと1929年には国際モンテッソーリ協会(通称 AMI:本部オランダアムステルダム)を開設、資格取得制度を整えた。 イタリア通貨がユーロに切り替わる以前に流通していたイタリア1000リラ紙幣には、マリア・モンテッソーリの肖像画(表)とその学習風景(裏)が描かれていた。 ※モンテッソーリ教育の生徒にはアンネ・フランクやジャクリーン・ケネディ・オナシスを始め、世界中に数多くの有名人がいるが、ワシントン・ポスト誌の経営者および、ジャーナリストだったキャサリン・グラハム氏、 Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス氏、Googleの共同創立者セルゲイ・ブリン氏とラリー・ペイジ氏、wikipedia創設者ジミー・ウェールズ氏、最年少二冠棋士藤井聡太氏などもモンテッソーリ・スクール出身者である。