幸福な人生について
『 幸福な人生について 』
セネカ
60年頃
古代ギリシア・ローマ哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "西洋哲学", "西洋古代哲学", "古代ギリシア・ローマ哲学" ]

テーマ

幸福について 善について 徳について

概要

セネカの兄アンナエウス・ノヴァトゥスに宛てて書かれたとされている。。快楽ではなく、徳こそが善であり、幸福のための最も重要な条件だと説く幸福論の最古典。

目次

内容

初めにセネカは、本書の目的を次のように表現している。 「われわれが知ろうとするのは、一体何を行なうのが最善であるか、ということであって、何が最も多く世の中に行なわれているか、ということではない。また、何がわれわれを永遠の幸福の所有者にするか、ということであって、何が俗衆に、つまり真理の最悪の解釈者である彼らに推賞されているか、ということではない。」 そして、その目的に対して以下のように主張する。 「ストア派のすべての人々の間で意見の一致をみているように、私は自然の定めに従う。自然から迷い出ることなく、自然の法則と理想に順応して自己を形成すること、これが英知なのである。 われわれは自然を指導者として用いねばならないのである。理性は自然を尊重し、自然から助言を求める。それゆえ、幸福に生きるということは、とりもなおさず自然に従って生きることである。 そのための条件は、ひとつが心の健全さ、もうひとつが心の強さ、最後が冷静沈着であることだ。」 そのうえで、快楽と徳について比較する。 「心がそうした境地に達すると、心の底から深い喜びが感じられる。彼は自分自身の内側に喜びを感じ、本来与えられた以上のものを望まない。こうした喜びが、肉体的で瞬間的な快感と釣り合うわけがない。 徳は或る高貴なものであり、他に秀でて王者のごとく、敗れることはなく、疲れることもない。しかし快楽は低俗で卑しく、弱くて壊れやすい。 最高の善は不死であって、滅びることを知らないし、満足することも後悔することもない。正しい心は決して向きを変えることはなく、自己を嫌悪することもなく、また何ものをも最善の生活から変えたことはないからである。しかし、快楽は最高の喜びに達すると消えてしまう。 徳は快楽を与えるのではない。それは快楽「をも」与えてくれるのだ。徳は快楽それ自体を求めるのではなく、他のものを求める結果として快楽を得るのだ。」
セネカ
セネカ
古代ローマ

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "西洋哲学", "西洋古代哲学", "古代ギリシア・ローマ哲学" ]

著者紹介

ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。 ルキウス・アンナエウス・セネカ (プラド美術館) 父親の大セネカ(マルクス・アンナエウス・セネカ)と区別するため小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた。ストア派哲学者としても著名で、多くの悲劇・著作を記し、ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられる。