愚管抄
『 愚管抄 』
慈円
1220
日本歴史書

名著の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書" ]

テーマ

日本の歴史 道理について

概要

鎌倉時代初期の史論書。初代・神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捉え、末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。

目次

内容

『愚管抄』の内容は性格の異なる三部分から成り立っており、巻1から巻2までは神武以来の天皇年代記、巻3から巻6までは道理の推移を中心とする歴史述叙、そして巻7は道理についての総括となっている。
慈円
慈円
日本

著者の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書" ]

著者紹介

平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。 天台座主として法会や伽藍の整備のほか、政治的には兄・兼実の孫・九条道家の後見人を務めるとともに、道家の子・藤原頼経が将軍として鎌倉に下向することに期待を寄せるなど、公武の協調を理想とした。後鳥羽上皇の挙兵の動きには西園寺公経とともに反対し、『愚管抄』もそれを諌めるために書かれたとされる。 また、当時異端視されていた専修念仏の法然の教義を批判する一方で、その弾圧にも否定的で法然や弟子の親鸞を庇護してもいる。なお、親鸞は治承5年(1181年)9歳の時に慈円について得度を受けている。 歌人としても有名で家集に『拾玉集』があり、『千載和歌集』などに名が採り上げられている。『沙石集』巻五によると、慈円が西行に天台の真言を伝授してほしいと申し出たとき、西行は和歌の心得がなければ真言も得られないと答えた。そこで慈円は和歌を稽古してから再度伝授を願い出たという。また、『井蛙抄』に残る逸話に、藤原為家に出家を思いとどまらせて藤原俊成・藤原定家の跡をますます興させるようにしたという。 『小倉百人一首』では、「おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで」の歌で知られる。