戦国策
『 戦国策 』
劉向
紀元前1世紀
その他中国哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "中国哲学", "その他中国哲学", "歴史学", "東洋歴史学", "中国歴史学", "中国歴史書" ]

テーマ

世界について 国家について 政治について 縦横家について 戦国時代について

概要

戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し、まとめ上げた書物。全33篇。「戦国時代」という語はこの書に由来する。

目次

内容

この『戦国策』の記事は、衛の悼公の起こった周の元年(前476)から秦の始皇帝215年(前222)に六国が滅亡するまでの250余年にわたる、戦国遊説の士の策謀の辞である。 春秋時代を経て戦国時代に入ると、周の封建制度が瓦解し、小国は大国に吸収、併呑され各国が領土の獲得に狂奔し、いたるところで侵略戦争が行われていた。様々な思想が生まれ、法家の商鞅や儒家の孔子などの学者、思想家や、また諸国を遊説し外交を論じる縦横家(または遊説家)などに活躍の場を与えた。 『戦国策』中で活躍しているのは、概ねこの縦横家(説客)である。 また、特異すべきは、司馬遷の『史記』中、戦国時代の人物についての資料は、その十中八九が『戦国策』から求められたとされる。この点から見ると『戦国策』は、自ら歴史たるにとどまらず、資料の宝庫であったこともわかる。
劉向
劉向
中国

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "その他中国哲学", "中国哲学", "歴史学", "東洋歴史学", "中国歴史学", "中国歴史書" ]

著者紹介

前漢の学者、政治家。。劉邦の末弟である楚元王劉交の玄孫。 元服すると、宣帝に仕え、文章の才を見込まれて抜擢された。蕭望之・周堪らと力を合わせて職務に励み、外戚の許氏や宦官の弘恭らの弊害を説く上書をしたところ、誣告とされて蕭望之は自殺、周堪らは左遷、劉向は投獄の後に免職となった。 成帝の世になるとそれから宮中蔵書の校勘を担当。この頃、外戚の王氏が権力を握っていたので『列女伝』など著作をはじめとして、文章を奏上することによって何度も主上を諫めた。主上も諫言をもっともだと思っていたが、周囲の圧力のためにそれらを活かすことができず、劉向は30年あまりも重用されることなく72歳でこの世を去った。