『 日本の思想 』
1961
日本現代政治学
名著の概要
ジャンル
[
"政治学",
"東洋政治学",
"日本現代政治学",
"哲学",
"東洋哲学",
"日本哲学",
"日本現代哲学"
]
テーマ
日本の思想
概要
累計102万部を売り上げる著書。大学教員達から“学生必読の書”と評される他、この中に収められている『「である」ことと「する」こと』は高校の現代文の教科書にも採用されている。
目次
内容
日本の思想
本論考は、日本思想史の包括的な研究が欠如しているという指摘からはじまり、日本の思想が持つ「無構造」という構造について、思想の継受などにおける問題を取り上げつつ論じられる。本論文について、政治学者の米原謙は、近代日本における「日本的感性」とマルクス主義の対立が主題になっていると指摘(丸山はこれらをそれぞれ「実感信仰」と「理論信仰」と呼ぶ)し、その二分論的構造を示している。
近代日本の思想と文学
プロレタリア文学の問題を題材に、小林秀雄の論なども参照しながら、近代日本の文学と思想の関係性とその特徴について論じる。政治学者の苅部直は、本論考にはこの時期以降の丸山が重視した「他者感覚」(「他者意識」)が主題化されていることを指摘している。また、米原謙は、本論考は丸山の戦後日本におけるマルクス主義の持つ力の減退という認識を反映していることを指摘する。
思想のあり方について
丸山は、本論考では「タコ壺文化」と「ササラ文化」という文化の類型の対比を用い、このうち日本の文化を「タコ壺」型に当てはめ、その問題性について論じている[7]。丸山はこの背景として、近代日本における西洋学問の継受がその表層のみにおいて行われ、それを支える基底的な文化や思想が取り込まれなかったことを指摘している。また、上安祥子は、本論考にみられるこの類型化は丸山の福沢諭吉研究を繁栄したものであることを指摘している。
「である」ことと「する」こと
本論考では、丸山は近代社会においては、「である」論理から「する」論理への相対的な移行がそれを特徴づけていると述べ、経済の領域においてはこの移行が進んでいる一方、政治の領域においては「する」論理があまり浸透していないことの問題性について具体例を多数交えながら論じている。
丸山眞男
日本
著者の概要
ジャンル
[
"哲学",
"東洋哲学",
"日本哲学",
"日本現代哲学",
"政治学",
"東洋政治学",
"日本現代政治学"
]
著者紹介
日本の政治学者、思想史家。
丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれる。
。第二次世界大戦中に執筆した『日本政治思想史研究』は、ヘーゲルやフランツ・ボルケナウらの研究を日本近世に応用し、「自然」-「作為」のカテゴリーを用いて儒教思想(朱子学)から荻生徂徠・本居宣長らの「近代的思惟」が育ってきた過程を描いたものである。
また、明治時代の思想はデモクラシー(民権)とナショナリズム(国権)が健全な形でバランスを保っていたと評価し、特に日本近代を代表する思想家として福澤諭吉を高く評価し、「福澤惚れ」を自認した。
『日本の思想』(岩波新書、1961)の発行部数は2005年(平成17年)5月現在、累計102万部。大学教員達から“学生必読の書”と評される他、この中に収められている『「である」ことと「する」こと』は高校の現代文の教科書にも採用されている。