正法眼蔵
『 正法眼蔵 』
道元
1198
鎌倉仏教経典

名著の概要

ジャンル

[ "宗教学", "東洋宗教学", "鎌倉仏教経典", "仏教", "仏教経典" ]

テーマ

禅宗 曹洞宗

概要

日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継ぎ、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。

目次

内容

主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な、すなわち肝心要の事柄を意味する。禅家はこれをもって教外別伝の心印となす。 ・ひたすら坐禅するところに悟りが顕現しているとする立場が、その思想の中核であるとされる。道元のこの立場は修証一等や本証妙証と呼ばれ、そのような思想は75巻本の「正法眼蔵」に見えるものであるとされるが、晩年の12巻本「正法眼蔵」においては因果の重視や出家主義の強調がなされるようになった。 ・成仏とは一定のレベルに達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一等)、釈迦に倣い、ただひたすら坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と主張した。 ・鎌倉仏教の多くは末法思想を肯定しているが、『正法眼蔵随聞記』には「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の器なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」と、釈迦時代の弟子衆にもすぐれた人ばかりではなかったことを挙げて、末法は方便説に過ぎないとして、末法を否定した。 ・南宋で師事していた天童如浄が、ある日、坐禅中に居眠りしている僧に向かって「参禅はすべからく身心脱落(しんじんだつらく)なるべし』と一喝するのを聞いて大悟した。身心脱落とは、心身が一切の束縛から解き放たれて自在の境地になることである。道元の得法の機縁となった「身心脱落」の語は、曹洞禅の極意をあらわしている。 ・道元は易行道(浄土教教義の一つ)には、否定的な見解を述べている
道元
道元
日本

著者の概要

ジャンル

[ "宗教学", "東洋宗教学", "鎌倉仏教経典", "仏教", "仏教経典" ]

著者紹介

鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。 徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。『正法眼蔵』は、和辻哲郎など西洋哲学の研究家からも注目を集めた。