洗心洞箚記
『 洗心洞箚記 』
大塩平八郎
1820
日本陽明学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本陽明学", "日本近世哲学" ]

テーマ

世界について 人間について 人生について 学問について 陽明学について

概要

読書録の形式で陽明学を説いた書。

目次

内容

大塩の代表作。読書録の形式で陽明学を説いた書。「洗心洞」は著者の家塾の称。 長州藩の吉田松陰はこの著作を「取りて観ることを可となす」と評価し、また薩摩藩の西郷隆盛も禁書となったこの著作を所蔵していた。
大塩平八郎
大塩平八郎
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本陽明学", "日本哲学", "日本近世哲学" ]

著者紹介

江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。 天保の大飢饉は、全国的には天保4年(1833年)秋から同5年(1834年)夏にかけてと天保7年(1836年)秋から同8年(1837年)夏にかけてが特にひどかった。 後者の際には、大坂東町奉行の跡部良弼は幕府への機嫌取りのために大坂から江戸へ強制的に廻米し、また豪商が米を買い占めたため米価が高騰した。京の都は餓死者で溢れた。自ずと流民は大坂に流れ込み、大坂市中の治安は悪化した。大坂の民衆が飢餓に喘いでいることに心を痛め、反乱を起こした。 しかし、同心の門人数人の密告によって事前に大坂町奉行所の知るところとなったこともあって、蜂起当日に鎮圧された。 儒学は孝と忠を重んじるが、儒者たる大塩が認めた『檄文』からは、大塩が朝廷への忠を念頭に、主君たる幕府への諫言を行う意図が明らかに読み取れる。