『 狂気の歴史 』
1961
西洋現代哲学
名著の概要
ジャンル
[
"哲学",
"西洋哲学",
"西洋現代哲学"
]
テーマ
狂気について
人間について
概要
「狂気の歴史」というタイトルは、決して自明のものではない。なぜなら、フーコーの目的は、精神疾患を医学的カテゴリーにおいて説明することではなく、西欧において変容してきた狂気の内実を歴史的な次元においてとらえることにあったからである。それは、彼以前の人間科学が歴史的実践をなおざりにしてきたことへの批判でもあった
目次
内容
フーコーは、その「歴史」を癩病患者が社会的にも物理的にも排除されていた中世まで遡る。
そして、癩病は次第に姿を消していき、狂気がそれに代わって排除されるべきものとなったと彼は言う。
狂った人間を舟に乗せて送り出したという15世紀の「阿呆船」は、文字通りその排除が一つの形をとったものであった。
しかし、ルネサンス期には、狂気がきわめて豊饒なる現象として扱われるようになる。
なぜなら、狂人とは、「人は神の理性には近づきえない」という思想の体現だったからである。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」にみられるように、あらゆる人間は欲望と異物に弱いものだ。したがって、正常でない人間を神の理性に接近しすぎた存在と見なす考えは、中世社会で広く受け入れられていた。ボッシュやブリューゲルの絵画に表象されているものこそ「狂気」である。それは、死の不安であり、宇宙の混沌である。
しかし、ルネサンス以降、この狂気は、それまでのイメージ(画像)から、エラスムスの「痴愚神礼賛」がその典型であるように言語のレベルに移される。そしてこのとき、狂気は、夢想的・宇宙的な強迫観念を離れ、理性との関係においてとらえられるようになった。あるいは、より人間的なものに限定されたとも言える。
ミシェル・フーコー
フランス
著者の概要
ジャンル
[
"哲学",
"西洋哲学",
"西洋現代哲学"
]
著者紹介
フランスの哲学者。
フーコーは、一連の活動により、「知と権力の関係」「知に内在する権力の働き」を説明した。
フーコーの思想においては、「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては、知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある。