申楽談儀
『 申楽談儀 』
世阿弥
1430
芸術論

名著の概要

ジャンル

[ "芸術学", "東洋芸術学", "芸術論" ]

テーマ

芸術について 美について 幽玄について 能について 演技論 演出論

概要

観世大夫の地位を長男の元雅に譲り、出家した60歳より後の世阿弥の芸論を伝える書である。の伝書とは異なり、世阿弥自身の筆によるものではない。また聞き書きをそのまま収録したもの。

目次

内容

演技と音曲 第1条(段)として、演能上における細かな所作について、増阿弥の実例などを交えての注意。第2条は、いかに風趣、風情を感じさせるかについて、具体的な曲を挙げながらの指導。第3条は「心根」、即ち謡曲の文辞をいかに表現するかについて、やはり具体的な曲を挙げて説明する。 第4条は芸の位、第5条は演能中の間投詞についての解説。第6条から13条までは音曲についての説明が占め、祝言音曲・曲舞謡・かかり・訛り・拍子・位などがライバルたちのエピソードも交えて詳細に語られる。 能を作る 第14条からの3条は作能についての話題である。「能の本を書く事、この道の命なり」(『風姿花伝』)と述べたように、世阿弥は作能を極めて重視している。第十四条では『三道』のまとめとともに、過去の世阿弥自身の作品にも論評が加えられ、改めて世阿弥が応永年間(1394 - 1427年)以降の自作に自信を持っていたことが記される。 第15条は構成論も含めた、能の書き方についての注意点。文章上はよい展開に見える曲も実際の演技にそぐうものでなくては意味がない、言葉の余韻を大切にし、文章は簡潔かつ意味を明快にせよ……など、多くの作品を書いた世阿弥らしい実践的な注意が含まれている。第十六条は作能に当たっての心得、そして『三道』に挙げられた作品の作者紹介も含まれ、貴重である。 翁舞と能面 第17条は勧進猿楽の舞台・桟敷についての具体的な留意事項、そして翁舞についての具体的な記述が見られる。ここで世阿弥12歳の今熊野の公演において、初めて翁舞を座の大夫が演じることになり、翁舞そのものが変質した瞬間が語られ、結果『談儀』が書かれた頃には、本来の形での翁舞はほとんど行われなくなったことが記されている。 第18条は装束や道具、第19条では面についての細かな注意。第20条では笛・狂言の名人の名が挙げられ、第21条では金春座、金剛座、十二座など、中央で認められていない大和猿楽の座が紹介されている。第22条は能面とその作者についての文章であり、面作者についての最も貴重な文献である。
世阿弥
世阿弥
日本

著者の概要

ジャンル

[ "芸術学", "東洋芸術学", "芸術論" ]

著者紹介

日本の室町時代初期の大和申楽結崎座の申楽師。 父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに申楽(猿楽とも。現在の能また歌舞伎の祖形ともいう)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。 当時の貴族・武家社会には、幽玄を尊ぶ気風があった。世阿弥は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていったと考えられる。 義満の死後、将軍が足利義持の代になっても、世阿弥はさらに申楽を深化させていった。『風姿花伝』(1400年ごろ成立か)『至花道』が著されたのもこのころである。