留魂録
『 留魂録 』
吉田松陰
1859
その他近世日本哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他日本哲学", "日本近世哲学" ]

テーマ

吉田松陰の遺言

概要

幕末長州藩の思想家である吉田松陰が、1859年(安政6年)に処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために著した遺書である。この遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、松門の志士達の行動力の源泉となった。

目次

内容

全十六章 冒頭の句 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂 十月念五日 二十一回猛士」 最後の句 「かきつけ終わりて後           心なることの種々かき置きぬ思い残せることなかりけり           呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな           討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ           愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友とめでよ人々           七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや               十月二十六日黄昏書す              二十一回猛士」
吉田松陰
吉田松陰
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他近世日本哲学", "日本近世哲学" ]

著者紹介

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。 一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。 私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。 康有為は、吉田松陰の『幽室文稿』を含む陽明学を研究したといわれる。また、康有為の弟子の梁啓超は1905年、上海で『松陰文鈔』を出版するほど、陽明学を奉じた吉田松陰を称揚した。