第三の波
『 第三の波 』
サミュエル・P・ハンティントン
1991
西洋現代政治学

名著の概要

ジャンル

[ "政治学", "西洋政治学", "西洋現代政治学" ]

テーマ

国家について 政治について 民主主義について

概要

ハンティントンは民主主義体制について選挙による集団的な意志決定者の選出と特徴付けており、非民主主義体制からこの体制へと移行することを民主化と呼ぶ。歴史的な観点に立てば民主化の波は三度認めることが可能であり、本書は歴史において三番目に到来した1974年に端を発して世界各地で進行した民主化について研究したものである。

目次

内容

ハンティントンは民主主義体制について選挙による集団的な意志決定者の選出と特徴付けており、非民主主義体制からこの体制へと移行することを民主化と呼ぶ。 歴史的な観点に立てば民主化の波は三度認めることが可能であり、第一の波はアメリカ合衆国の独立やフランス革命などを起点とする1828年から1926年の間であり、第一の波が生じた後の1922年から1942年の間にイタリアやドイツでのファシズムによる揺り戻しが到来した。 第二の波は第二次世界大戦中の1943年から1962年の間に発生したものであり、ドイツやイタリア、ラテンアメリカ諸国の民主化が進んだ。そしてその反動は1958年から1975年の間に生起しており、ラテンアメリカ諸国やアジアでは権威主義体制が各地で成立していた。 第三の波の原点についてハンティントンは1974年、より厳密には4月25日深夜0時25分に発生したポルトガルのリスボンでクーデターであったと述べている。 1974年から1990年代にも及ぶ民主化の波はポルトガルに始まり、ギリシア、スペインといった南欧諸国、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、インド、トルコ、フィリピン、パキスタンなどの第三世界、そしてハンガリー、東ドイツ、ブルガリアなどの共産主義諸国のほか、メキシコやパナマにまで波及し、非民主主義の体制を採用していた諸国において民主化が生じた。 このような第三の民主化の波の原因についてハンティントンは第一の波や第二の波と比較検討しながら、いくつかの要因が作用していることを指摘する。 権威主義体制を支えていた正統性が軍事的敗北、経済的失敗により疑問視されるようになったこと、次に民主主義体制における生活水準や教育内容の向上、カトリック宗教界が権威主義の擁護から反対への政治的態度の転換、アメリカとソビエト、さらにヨーロッパが関与した安全保障協力の影響、全世界的なマスコミュニケーションの普及による民主化モデルの情報伝達、これらの要因が多面的に民主化の運動を基礎付けている。 しかし、これだけでは民主化の条件が満たされたにすぎず、政治的リーダーシップが必要となるはずである。第三の波を主導した政治的リーダーシップを理解するためには民主化の体制変動を旧体制の指導者が指導して行う体制改革、革新派の指導者が指導して行う体制変革、そして旧体制と反対派の協力によって行われる体制転換の三つに分けて考える必要がある。 民主化は従来の政治指導者とその反対者との間の政治的な力学の中で決定されるものであり、一般に暴力的手段により確立された体制は暴力によって統治が行われる傾向にある。 ハンティントンが強調している点はある非民主主義体制の国家が独裁政権または軍事政権によって統治されているとしても、民主化の際にその政権を根絶することは逆に政治的不安定をもたらすことにある。 民主主義体制の確立が可能となるためには、独裁政権や軍事政権が形成してきた社会に対する統治手段を一掃するのではなく、政治的安定性を喪失しないように段階的に移行しなければならない。民主化が成功したとしても、前政権の統治手段を民主政治のシステムと結合しなければならない。
サミュエル・P・ハンティントン
サミュエル・P・ハンティントン
アメリカ

著者の概要

ジャンル

[ "政治学", "西洋政治学", "西洋現代政治学" ]

著者紹介

アメリカ合衆国の国際政治学者。 彼の研究領域は政軍関係論、比較政治学、国際政治学などに及び、軍事的プロフェッショナリズム、発展途上国における民主化、冷戦後の世界秩序での文明の衝突の研究業績を残している。 リアリズム(現実主義)を基調とした、保守的な思想で知られる国際政治学者である。彼はもともと近代化とそれに伴う社会変動や民主化の理論で政治理論家としての名声を築いた。 著書『文明の衝突』において、冷戦以後の世界を文明にアイデンティティを求める諸国家の対立として描いた。コソボ紛争やトルコのEU加盟などさまざまな国際的な事例を引きつつ、文明同士のブロック化が進む世界を分析した。 この主張は世界各国で反響を呼び、イランのモハンマド・ハータミーの文明の対話やトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアンがスペインのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロとともに提案した文明の同盟構想に影響を与え、彼の名を世界的なものにした。 なお彼は、「ホワイトハウスの政治顧問」としても活躍した経験をもち、アメリカのアイデンティティの混迷を描いた『分裂するアメリカ』などの著書もある。