聖教要録
『 聖教要録 』
山鹿素行
1665
古学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学", "古学", "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書" ]

テーマ

国家について 天皇について 中華について 万世一系について

概要

門人への講義である『山鹿語類』からその学説の中核を集録したもの。古学の要点をまとめたもの。朱子を通してでなく古代の聖賢の教えにかえることを主張した。

目次

内容

門人への講義である『山鹿語類』からその学説の中核を集録したもの。 「聖人」から「道原」まで,28項の簡潔な解説から成り,直接周公,孔子の教えを学び,日用実践を重んずべきことを説いた,朱子学批判の先駆をなす書。 素行は『聖教要録』を著わした罪で,翌年,保科正之により播州赤穂に流された。
山鹿素行
山鹿素行
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "日本近世哲学", "古学", "歴史学", "東洋歴史学", "日本歴史学", "日本歴史書", "兵法書" ]

著者紹介

江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。 9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で甲州流の軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。 35歳ごろには山鹿流兵学が完成し,《武教本論》《武教全書》を著した。山鹿流兵学は、従来の戦法によった兵学・軍学から、士道学としての広い構想の下に構築された兵法で、後の士道教育の牙となった。 また、40歳を過ぎるころから,当時の儒学の主流であった朱子学に疑問をもつようになり,65年(寛文5)には《聖教要録》を著して朱子学を批判し、独自の解釈により古学を創始した。 古学とは、朱子を通してでなく古代の聖賢の教えにかえることを主張した学問であり、古典的名著から直接学ぶことを重視した。