職業としての政治
『 職業としての政治 』
マックス・ウェーバー
1919
西洋現代社会学

名著の概要

ジャンル

[ "社会学", "西洋社会学", "哲学", "西洋哲学", "西洋現代社会学", "西洋現代哲学", "政治学", "西洋政治学", "西洋現代政治学" ]

テーマ

政治について

概要

政治とは何か、国家とは何か、支配とは何か、政治家とは何か、完了とは何か、そして政治家はどうあるべきか、について述べた著書。

目次

内容

政治 ヴェーバーは、政治とは「自主的におこなわれる指導行為」の一切を含むものであると述べている。したがって、たとえば、銀行の為替政策、都市の教育政策、細君の亭主操縦などあらゆる社会現象は、政治的なものである。 国家 国家とはその域内において「正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」であると捉えることができる。したがって、政治とは、国際社会においても国内社会においても、「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」と言うことができる。 支配 政治の正当性の根拠については、その支配の方法によって、三種類に分けることができる。すなわち、ある習慣を保守する態度がとられることで神聖視されている伝統的支配、ある個人のカリスマ性や英雄的行為に依拠したカリスマ的支配、制定法の妥当性や権限に基づいた合法的支配である。さらに、支配を実施するためには、政治権力がどのように自己の支配機構を確保するのかという問題がある。 あらゆる支配機構には、二つの条件がある。すなわち、第一に「人々の行為が権力に対して服従するように方向付けられていること」であり、第二に「支配者が物理的暴力を掌握していること」の二つである。したがって、行政を遂行するには、人的資源と物的資源の二つが必要である。 職業政治家 物的にも心的にも一義的に政治で生きている「職業政治家」がいる。職業として政治を行うとは、「政治によって生きる」方法と「政治のために生きる」方法の二つがある。両者の違いは、前者が政治を恒常的な収入源にしている者であるのに対して、後者はそうでない者という点にある。そして、「政治のために生きる」人々を中心に政治が運営される場合、その際の政治家の人的補充はどうしても金権制的に行なわれてしまう。したがって、そういった金権的な人的補充が行なわれないようにするためには、政治に携わることによって、定期的で確実な収入が得られるようにしなければならない。 官僚 官僚は、専門家であると共に、非党派的であるべきであり、政治的闘争に巻き込まれてはならない。党派性や闘争は、政治家の本領であり、官僚とはまったく異なる責任がある。 政治倫理 ヴェーバーは、職業政治家になるための資質の一つとして、「権力感情」を挙げている。つまり、他者を指導しているという意識や歴史的事件の一部を担っているという感情によって、非日常的な気分を味わうという能力である。しかし、政治には、特有の倫理的問題の領域がある。したがって、政治家には、情熱・責任感・判断力の資質が特に重要である。 政治家にとって問題となるのは、情熱と判断力をどのように政治家個人の人格に内面化するかということである。なぜなら、政治を遂行するには、情熱だけでなく、冷静に状況を観察して判断する力が必要だからである。つまり、政治家は、衆目を集めようとする虚栄心という致命的な気質を克服しなければならない。 そして、為政者がその政治倫理を自覚しなければ、政治的手段そのものによって政治が滅ぼされる危険性がある。したがって、たとえ将来の危険を予測することができなくても、それに関するすべての責任を引き受け、道徳的にも屈服せず、政治倫理が悪行をもたらすものであると知る人間こそが、政治への天性を持っている。
マックス・ウェーバー
マックス・ウェーバー
ドイツ

著者の概要

ジャンル

[ "社会学", "西洋社会学", "哲学", "西洋哲学", "西洋現代社会学", "西洋現代哲学" ]

著者紹介

ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。 社会学の黎明期のコントやスペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並び称される。 ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理は「合理性」であるとし、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放」と捉え、それを比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。 そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年-1905年)である。この論文の中で、ヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。