西洋事情
『 西洋事情 』
福沢諭吉
1868
日本近代哲学

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他日本哲学", "政治学", "東洋政治学", "日本近代政治学", "社会学", "東洋社会学", "日本近代社会学", "日本近代哲学" ]

テーマ

西洋について 文明について

概要

福沢諭吉が幕末から明治にかけて著した書物。当時欧米の状況を紹介したもの。福沢は江戸幕府の命により1860年(万延元年)にアメリカに渡り、1862年(文久2年)にはヨーロッパに渡ったのち、1866年(慶応2年)に初編3冊を刊行した。翌年の1867年(慶応3年)再びアメリカへ渡り、その後1868年(明治元年)に外編3冊を、1870年(明治3年)2編4冊を刊行している。

目次

内容

その内容は政治、税制度、国債、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、図書館、新聞、文庫、病院、博物館、蒸気機関、電信機、ガス燈などに及び、それぞれについて個別に紹介している。 例えば政治については政体が君主政、貴族政、共和政の三種類の政体に区別され、イギリスではこれらの政体を組み合わせていると記している。 さらに文明国の六つの要訣について列挙しており、それは法の下で自由が保障され、人々の宗教には介入せず、技術文学を振興し、学校で人材を教育し、安定的な政治の下で産業を営み、病院や貧院等によって貧民を救済することであると論じる。 また外交についても、通商や婚姻によって君主間の関係を構築し、戦争を防止するために条約を締結し、条約に基づいて大使が相互に派遣されるという外交の制度が紹介される。 このように、当時の日本には存在しなかった西洋の近代的な制度や技術を数多く紹介している
福沢諭吉
福沢諭吉
日本

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "日本哲学", "その他近世日本哲学", "政治学", "東洋政治学", "日本近代政治学", "社会学", "東洋社会学", "日本近代社会学", "日本近代哲学" ]

著者紹介

日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。 慶應義塾(旧:蘭学塾、現在の慶應義塾大学はじめ系列校)の創設者であり、商法講習所(のちの一橋大学)、神戸商業講習所(のちの神戸商業高校)、北里柴三郎の伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)、土筆ヶ岡養生園(現:東京大学医科学研究所附属病院)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。ほかに東京学士会院(現:日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を基に「明治六大教育家」として列される。 福澤の学問的・思想的源流に当たるのは亀井南冥や荻生徂徠であり、諭吉の師・白石照山は陽明学や朱子学も修めていたが亀井学の思想に重きを置いていた。したがって、諭吉の学問の基本には儒学が根ざしており、その学統は白石照山・野本百厳・帆足万里を経て、祖父・兵左衛門も門を叩いた三浦梅園にまでさかのぼることができる。のちに蘭学の道を経て思想家となる過程にも、この学統が原点にある。 『文明論之概略』は新井白石の『読史余論』から影響を受けており、維新の動乱の最中、程度の高い成人向けに「なかんずく儒教流の故老に訴えてその賛成をうる」ことを目的とし、西郷南州なども通読したることになった。 諭吉の代表的な言葉で戒名にも用いられた言葉が「独立自尊」である。その意味は「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」(『修身要領』第二条)。