詩経
『 詩経 』
孔子
紀元前10世紀(不明)
五経

名著の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "五経", "中国哲学" ]

テーマ

世界について 人間について 人生について

概要

中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

目次

内容

各地の民謡を集めた「風(ふう)」すなわち国風(160篇) 貴族や朝廷の公事・宴席などで奏した音楽の歌詞である「雅(が)」(小雅74篇、大雅31篇) 朝廷の祭祀に用いた廟歌の歌詞である「頌(しょう)」(40篇) の3つに大別される。 国風は、周南・召南・邶(はい)・鄘(よう)・衛・王・鄭・斉・魏・唐・秦・陳・檜(かい)・曹・豳(ひん)の15の国と地域の小唄や民謡を収める。「雅」はさらに小雅と大雅に分かれる。「頌」は、周頌・魯頌・商頌に分かれる。商頌は殷室の祭祀を継承した、宋の廟歌と言われている。
孔子
孔子
中国

著者の概要

ジャンル

[ "哲学", "東洋哲学", "四書", "五経", "中国哲学" ]

著者紹介

春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 孔子は四聖人の一人で、釈迦、キリスト、孔子、マホメット、以上の四人の一人である。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子の死後約四百年かけて編纂した弟子たちの言語録は『論語』にまとめられた。 約3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた。そのうち特に優れた高弟は孔門八哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている(そのため、四科十哲とも呼ばれる)。すなわち、徳行(論語古義によると徳行は、言語・政事・文学の三者を兼ねる)に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である。(その中でも子路と孔子のやり取りが論語のなかでは1番多い。)その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。 孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。 孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。 20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子及び儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。