資治通鑑
『 資治通鑑 』
司馬光
1084
中国歴史書

名著の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "中国歴史学", "中国歴史書" ]

テーマ

中国の歴史 国家について 政治について

概要

中国北宋の司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂した、編年体の歴史書。 収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。

目次

内容

この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評価が与えられてきた。また後述のように実際の政治を行う上での参考に供すべき書として作られたこともあり、『貞観政要』などと並んで代表的な帝王学の書とされてきた。また近代以後も、司馬光当時の史料で既に散逸したものが少なくないため、有力な史料と目されている。 周紀(5巻) 秦紀(3巻) 漢紀(60巻) 魏紀(10巻) 晋紀(40巻) 宋紀(16巻) 斉紀(10巻) 梁紀(22巻) 陳紀(10巻) 隋紀(8巻) 唐紀(81巻) 後梁紀(6巻) 後唐紀(8巻) 後晋紀(6巻) 後漢紀(4巻) 後周紀(5巻)
司馬光
司馬光
中国

著者の概要

ジャンル

[ "歴史学", "東洋歴史学", "中国歴史学", "中国歴史書" ]

著者紹介

中国北宋代の儒学者、歴史家、政治家。 祖先は西晋の高祖宣帝・司馬懿の弟司馬孚だといわれている。歴史書『資治通鑑』の編者として著名。政治面では旧法派の領袖として王安石ら新法派と対立した。 旧来、司馬光の評判は頗る高い。それは彼の属する旧法派の流れを汲む朱子学が学界に君臨し、司馬光を激賛したことにも原因がある。この立場からするなら、司馬光は君子の中の君子として、殆んど非の打ち所のない人物として描かれることになる。 その一方、近代以後に発展した経済史学的見地からすると、司馬光は旧来の大地主・大商人を擁護し、それらの政権壟断の打破を狙った新法を排除した、反動的政治家の一人と目されることにもなった。司馬光は王安石の新法の意義を全く理解できなかった、単なる守旧派の領袖以外の何ものでもないと見做されもしたのである。